中学校・高校時代

◆野球そして野球
中学、高校と野球部。
理由はスポーツで唯一好きを超えて、できたのが野球だったから。中一の野球部練習の初日、一年生は基礎練習ということでボールには触らせてもらえず(夏休みまでは基礎練習ばかり) 学校の外のランニングコースを走ったが、それまでの人生で最高の量の汗をかくほど走ったが、先輩に『まあ初日だから今日は女子のコースにしといたから』と言われ小学生と中学生の体力の違いに唖然とした。

◆校内暴力全盛期
時は、校内暴力全盛期。どこかの中学校から殴りこみに来るだの、先生が殴られただのというニュースが新聞をにぎわし、金八先生でも荒谷二中が荒れてて桜中学までその影響があったりと、社会的問題となっていた。
しかし、うちの中学校は、『遊ばせる学年』あがりの子供たちが約半分いるために、全体的にのんびりとしていて
いわゆる不良という人が一人もおらず、当然番長と呼ばれる人もいなかった。だから、どこかの中学の不良グループが突然来て『この中学の番長出て来い!』と言われても、野球部のキャプテンが行って『今日は何の用ですか?』と、対応しているような中学だった。
しかし、そんな平和な中学に、あるとき転校生がやって来た。見るからにいかにも不良中学生。来て早々、『この中学の番長は誰や?俺はこう見えても前の中学では副番で特攻隊長やってたんだ』と豪語されたが、その言葉の価値を全く理解できず、しかも番長がいないので対応もできなかった(笑) それどころか、それを聞いた私たちは、『丁度いいやん!うちの中学は、番長がおらんから今日からオマエが番長になってくれや!ぎゃははは~』というようなしまつ。そんな感じでバリバリの不良学生もつるむ仲間もケンカする相手もいない場所では不良としてやっていけず(不良グループ結成できないので(笑)) 気付いたらいつのまにか真面目な普通の生徒になってしまった。環境は人を変えてしまうんだと実感した貴重な経験だった。

◆人生の教訓
忘れられない体験が中3の冬に開催された駅伝大会。
当時、一生懸命することが照れくさかったのか、負けることが恥ずかしかったのかは不明だがクラスから代表となった6人の駅伝メンバーで『ゆっくりと力を抜いていこう』と約束してスタート。終わりから2人目の5区が私。
1区の選手は学年でも長距離がかなり速いM君だったが、打ちあわせ通りぶっちぎり最下位の6位で戻ってきた。そして2区の選手へ・・・ しかし、沿道で応援してくれるクラスメイトや頑張っている他のクラスの仲間を見ていると次第に『ゆっくりと力を抜いて・・』とは行かなくなってきた。また、段々とそんな自分自身が許されなくなってきて、あれだけぶっちぎりの最下位だった私たちのクラスが、あれよあれよと追い上げ、私のひとつ前ではついにトップとなってしまった。そして、トップのタスキを受けた私は必死で走った。絶対に追い抜かれるわけにはいかない。心臓が口から飛び出しそうになるほど必死で走りました。そして、トップのままアンカーへタスキを、2位のクラスのアンカーは陸上部の長距離の選手。そして、最後の最後でとうとう私たちのクラスは追い抜かれて2位になってしまいました。
『最初から一生懸命やっていたら・・・』 あとで、悔やんでも時間は戻りません。負けるところを見られるのがカッコ悪い、一生懸命やっている姿を見られるのが恥ずかしい・・・ 今思えば、わざと力を抜くという決断をした自分たちが許せないのです。それが悔しかったのです。今でも忘れられない苦い思い出です。

◆商業高校へ、、、まるで女子高
中学を卒業し近所の商業高校へと進学したが、学年450名に対して女子生徒が370名!!まるで女子高。10クラスの中には当然女子だけのクラスもあるし、私のクラスは2/3が女子。どのクラスも、女子が強くて大奥のようで男子はホント立場がない。『このままじゃ、自分の青春は台無しだ!2年生になったら絶対に自分らしさを出して楽しくすごすぞ!』ということを強く心に誓い、2年、3年生は超楽しく過ごす。

◆高校でもいろいろ挑戦
学園祭では、顔を黒く塗ってラッツ&スター、教室を使ってのクイズコーナでは司会者。体育祭では、一世風靡セピアで、ダンスに爆竹、そして残って掃除をさせられるほどグランド全体に撒き散らした紙ふぶき。(練習などの準備期間もすごく楽しかった)。高3の学園祭では先生のパロディの演劇を脚本・製作・出演をして生徒には大ウケだったが一部の先生には不評で、職員室にみんなであやまりに行った。空白の一年を取り戻すべく完全燃焼の2年間でした。とにかく目立ちたがりの自分としてやりたいことをすべてやった高校生活。

◆私がのびのびできた訳
高2のとき親友がいました。彼は先生をはじめ周りにはあまり真面目じゃない生徒と思われていたが、私にとってはすごくいいヤツで。とても大好きでな親友だった。靴を買って学校に履いていくと、『あっ!靴買ったん?ええやん!』と言い、カットして翌日学校に行くと『あ、髪切ったんや!』って必ず声をかけてくれる。なんかそれが心地よくて。彼に会える学校がとても好きで心地よかったのを覚えている。まさに、変化した自分を受け入れてくれるっていう安心感かな。

◆勉強はそこそこ
勉強はそこそこだったが、頑張ったのが簿記。当時うちの学校では、はじめて高校生のうちに挑戦させたという
日商簿記2級の試験。絶対に合格したかった私は放課後に親に頼んで専門学校まで通い必死で勉強した。みんなが70点の合格点を狙う中、密かに100点満点を狙うがあえなく96点しかとれず。しかし、学年1位で担任の先生は驚き、感激していたが自分の中では悔しい気持ちでいっぱいだった。

◆ロックに目覚める
高一で友人が聴いていたRCサクセションでロックに目覚める。その後、ラウドネス、アースシェイカーなどハードロックに目覚め、自分でも演ってみたいという気持ちに変わっていく。
はじめてのバイト(郵便局)代で、3万8千円のエレキギターを購入しロック少年デビューを果たす。結局、ギターには挫折しギタリストにはなれずに、ヴォーカリストとなるが今でもギタリストへの夢は捨てていない。また、当時スタジオに行くお金も無かったので、友達の家で、アンプを通して大音量で歌い、演奏していたところを友達の親に見つかり怒鳴られる(しかも別の友達の家で2回も、、泣)

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