社会人時代

◆日産のディーラーに入社
自動車会社に入社した理由は経理の募集があったから。営業はしたくないとかたくなに思っていた。
入ってみると学生時代とは違う拘束時間の長さに驚く。
初日に先輩に『昼休み以外に休憩時間はないのですか?』と尋ね学生気分全開な自分を暴露してしまった。
仕事は淡々とこなすがやっぱり、それだけでは達成感が得られず経理以外の仕事にも注目し始める。

◆社長賞を受賞
あるとき、この会社の伝統のあるメイン車種の新車発売のための宣伝ポスターを企画部長や社長などが集まって企画会議をしていた。そのとき、丁度残業をしていた私が呼ばれ、『発表前だから姿は見せずに新発売を宣伝するにはどんなポスターがいいだろうか?』と質問され、即答で『私ならこうします』と答え、なんとそれが採用され、全社キャンペーンのポスターとなってしまった。そして、それまで無かった社長賞が会社に新設され第一号となった。

◆さらに全国へ
当時日産が展開していた日産全体のイメージアップ活動で、若手社員による企画で日産のイメージアップを狙うというのがあり、なぜか会社の代表社員(1名)に選ばれ、全国の日産系ディーラーの代表ばかりを集めたグループのメンバーとなる。
そして、その第1回目の合同会議の際、グループの共通ロゴを募集することになり、熱く燃えるようなイメージでデザインしてみたら、今度はなんとそれが採用となり、名刺はもちろん、ポスターやTシャツ、トレーナーにも自分がつくったロゴが印字された。
さらに、兵庫県の代表メンバーで全国に先駆けてイベントを行い、派手にやろうとクラリオンガールを呼んだり、県下3ヶ所でのパレード同時開催など全国初ということでテレビ、ラジオ、新聞の取材やらがたくさん来て目立ちまくった。

◆やっぱり毎日のやりがいが欲しくて
とはいえ、仕事以外でもやりがいが欲しいと、職場で野球大会を自ら企画し、盛り上がるような工夫して開催する。思惑通りおおいに盛り上がり『またやりたいな』という言葉を引き出し、そのままの勢いで草野球チームの結成までこぎつける。ユニフォームを揃え、試合を行い、年末には表彰式に忘年会。ついに仕事以外のやりがいを見つけ、キャプテンとしてチームを盛り上げ3年以上続ける。阪神大震災の前日にも合同自主トレと称して珍しく練習を行なったが、その後続行不可能となる。
一方で、バンド活動も再開し新バンドを結成する。このバンドは、全曲オリジナルで力が入る。そのうち週に一度真夜中までスタジオ練習を行なっていたが、さらにエスカレートして朝方までスタジオに入るようになり、日によっては朝刊を手渡しで新聞配達の人にもらうようなこともあった。昭和から平成に変わる瞬間もオリジナル曲のレコーディングをしており、その曲はサブタイトルに『昭和~平成バージョン』と言っていた。

◆電機メーカーに転職
特に行きたかったわけでもないが、家から近く、給料が上がるのと休暇が1.5倍くらいになる理由から転職する。ほとんど転職先の会社について調べずに面接に臨み、その会社が自分が思っていた会社とは違う会社だということを、当日他の受験生との会話で気付きめちゃくちゃ焦る。その直後の面接試験では、会社についてや会社の製品の話題には一切触れずに面接直前に流れていた業務時間中の業間体操についての話題に強引に持っていく。それが好印象だったのか気に入られ、その場で内定を頂く。

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