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ターザンってこんな人 コーチ的プロフィール


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泰山義生 (やすやまよしお)




コーチ

CFP(ファイナンシャルプランナーの国際ライセンス)

未来へ夢をつなげよう 代表




岸英光コーチング講座受講 大阪10期、11期完了

赤木広紀コーチ 大阪プロコーチ講座受講



2004年より自身のチームでのコミュニティ運営を通じて経験した事例を

中心にメールマガジンにてリーダーシップについて配信。

このメルマガは創刊時より話題となり配信3週間でまぐまぐスタッフの

おすすめメルマガに選出される。   


その後、リーダーシップを5日間で学べるメール講座を配信。

半年限定の講座であるが400名の受講生を集める。



2006年には待望の新作【情熱リーダー育成講座】の配信を開始する。

また、これと同じくして2006年夏よりコーチとしても活動を本格的に開始する。



現在は、個人セッションを中心にコーチングを行っている。

また、自身がコーチング通じて、たくさんの人と出会い新たな可能性を見つけている。

2007年からは、ショップコンサル、FP向けコーチングをスタートさせ、

さらには地元でコーチングコミュニティを設立し、文字通り地域との

コミュニケーションを行う活動も精力的に行っている。





【関連サイト】

リーダーシップを身に付けるならもっと!ターザン.com たった30日でリーダーシップを身につけるサイト

神戸コーチといえばターザンターザンのオフィシャルコーチングサイト。ここでセッションの受付も

みらゆめ.com神戸のコミュニティ【未来へ夢をつなげよう】のオフィシャルサイト

CFG神戸2004年より主宰しているキャッシュフローゲーム会

・明石コーチングコミュニティ 地元とコーチングを意識した仲間で集うコミュニティ








 【ターザンはいったいどんな人生を送ってきたのか?に興味のあるひとだけ(笑)】



神戸生まれの神戸育ち

O型 ふたご座





◆子供時代

小学校2年生で転校する(当時はすごくいやだったが、結果的にこの転校が人生を変える大きなきっかけとなった)。

転校先のこの学校は当時新設校で、学校の方針がまだ決まってないような状態だったそう。

先生も学年ごとに、いろんなことを試していたみたい(10数年たってから同窓会で先生に聞いた(汗))

で、僕たちの学年は【遊ばせる学年】にしようということになったらしい。

そういや、毎日の宿題はもちろん、夏休みの宿題なんてまったくなかったです(笑)

で、宿題なしが当たり前となると、時間が余るので自然と自主研究のようなものを勝手にし始めるんだよね(笑)だから、宿題ないくせに夏休み明けには、みんな3つも4つも自主研究をもってきてました。

性格は目立ちたがり屋で、5年生のときには病気で休んだ日に卒業生を送る会の挨拶割り(在校生が何名かで順番にセリフのようなヤツを言うもの)がきまり、病み上がりで登校したときには当然ながらすべて決まっていたので、わざわざ先生に自分のセリフを作ってもらったほど(笑)

常にクラスでも中心人物で、いまでも小学校の同窓会の幹事を続けている。



◆中学時代

小学校からずっと野球少年だったので中学でも当然野球部に所属。

時代的に校内暴力全盛期で、周りの学校はいろんな事件を起こしている時代だったが、【遊ばせる学年】で育った僕たちは、まったく不良がいない学年で、グレる時間がもったいないくらいみんな幼稚に遊びまくってました(笑)

たまに殴りこみとかで他の中学校の不良生徒が校門前に来たりして、『こら~番長でてこい!』なんて言われても、番長どころか不良もいないので仕方なく野球部のキャプテンが出て行って『何か用事でしょうか?』なんて言ってる始末(笑)

そういや、中2のときにも転校生が来てねどう見ても不良。聞けば前の学校では、ナンバー2で特攻隊長だったからこの学校の番長と勝負させろと。そんな言葉を聞いても『お~ちょうどよかった!じゃあオマエ今日から番長やってくれや!はははは~』と、まったくそんな興味もないような平和な学校だった。もちろん、その後その転校生もすっかり普通の生徒になってしまったけどね、つるむ不良がいないから不良グループができないんで(笑)



◆高校時代

自宅近くの商業高校に通う。聞いてはいたけど『まるで女子校』

学年450名のうち男子生徒はわずか80名。若干16歳にして、女子は強いってことを感じさせられた暗い時代(笑)

しかし、このままでは高校時代が楽しくなくなってしまうと高校2年生より弾けて、泰山ワールド全開!(笑)

ここでも目立ちたがり屋の精神で文化祭でもクイズ番組の司会とか、演劇の脚本・出演とかをやったりしてなんだかんだ言っても、結局どんな状態でも楽しんでいた



◆専門学校

高校時代の延長で、経理関係の専門学校に進む。以外に結構勉強は出来た。(遊ぶけどやることはやるタイプかも(笑))最初は勉強だけを頑張っていたが、軽音楽部に入り、バンドをはじめる。

それまでにバンドを組んだらやりかたったことをするという目標をもってメンバー集めをし、目をつけたメンバーには、さりげなく友達になり、順番に理想のメンバーをそろえていく。強引に出演した初ライブは300名の前で行う。このとき、トリでの出演を希望したが一年という理由で却下され悔しい想いをする(笑)

2年生になると、自分でライブ自体をプロデュースし、学校始まって以来の規模でのライブを成功させる。もちろん、自分たちは2日目の大トリ(笑) (しかも、自分はヴォーカルだから『これがないとコンサートにならないのです!』と、先生を説得し、当時かなりいいヴォーカルアンプとスピーカーもレンタルする(笑))

ちなみに授業中はほとんど作詞の時間で、後半はオリジナル作りに没頭していた。その後もライブハウス出演、オリジナルによるレコーディング、そして卒業旅行での船上ラストライブなど好きなことを好きなだけさせてもらった。この2年間で、10以上のバイト(郵便局、ホテルサービスマン、居酒屋、喫茶店、ビラ配り、船着場など)を体験し人とかかわる楽しさを実感する。



◆会社員

経理課ということで、自動車会社に入社。社会人になったものの、あまりの束縛時間の長さに、初日に『ところで昼休みまでに休憩時間はないのですか?』と、先輩に聞きびっくりされる。まさに、学生気分のまま働こうとしていた(笑) この頃、全社のイメージアッププロジェクトに会社代表社員として選ばれ、このプロジェクトの全社活動での、ロゴデザインが採用されるなどここでもほどほどに楽しむ(笑)

しかし、『変わりのない毎日に刺激がほしい』とのことで、バンドと草野球チームを結成し、仕事以外に打ち込めるものを見つける。その後、転職し、禁煙の開始と自動車通勤に変わったことで、半年で10キロ体重が増え、『このままいけば数年で夢の3桁か?』と周囲に期待されるが、そこまでは行かず、現在もその当時と同じ体重で落ち着いている(笑)

また、転職後に結婚、子供の誕生という日々を送っているなかで、『もっと、これは我ながらよく頑張った!』という何かが欲しくて、資格取得にチャレンジ。ファイナンシャルプランナー資格である、AFPそしてCFPを続けて取得する。CFP合格したころに、またバンド活動の話が出て結成する(笑)

その頃自分の合格した方法を友人で試したところ4人全員が合格し、『ひょっとしてこれは絶対合格ノウハウか?』と喜ぶ(笑)



◆キャッシュフローゲームとの出会い

バンドをやりながら、FP受験時代に受験勉強からの逃避として読んでいた『金持ち父さん貧乏父さん』に出てきていた、CFGを体験できる会(CFG堺)を、ネットで偶然見つけ参加する。この日偶然にも、神王リョウをはじめ立石剛、浅田修司、駄田井一孝、そして参加者として来ていた篠原裕幸、渥美博人らと衝撃の出会いを体験する。ゲームそのものより、このような自分の夢を堂々と語れる場所があることにえらく感動し、その日の内にこの会の神戸開催をイメージする。自分の中の何かが弾けた瞬間だった。

その後は、立石剛の助けを借りながら、リコ、ナエマとともにCFG神戸を設立。神戸でのキャッシュフローゲーム会を2004年1月よりスタートさせる。  




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